インターネットの普及  特別編 インターネットはなぜこんなに普及したのか?
2006.7.1 
 現在、「インターネット」といえば知らない人はまず居ない立派な日本語である。
「ネット」なんて呼ばれたりもしている位だから。ではこのインターネットとは一体
何なのか?簡単にその歴史と次にその基幹となる技術背景を見てみよう。
 1969年、米国防総省の高等研究計画局 (ARPA:アーパ) は、核攻撃を受け
ても全体が停止することの無いコンピュータシステムを作るため、当時主流の中央
集中型システム(IBM360/370とその端末機群のシステム)ではない分散型コン
ピューティングを構築すべくARPAnet (アーパネット)を立ち上げる。 当初、全米
4大学、(カルフォルニア大学ロサンゼルス校、スタンフォード研究所、カルフォルニ
ア大学サンタバーバラ校、ユタ大学) の大型コンピュータ、ミニコンをハネウエル
DDP-516というコンピーターを改造して、今で言うルーターとして、これらの異機種
のコンピュータ同士をTCP/IPの原型プロトコルで相互接続するという形態で構築
された。最初はLOGINの最初の2文字L,Oを送受信してシステムがダウン(停止)
したという。これが今のインターネットの原型である。説明は少し面倒だが、TCP/IP
の機能は-一部のコンピユータやネットワークが破壊されてもネットワーク全体を
機能させるために予め通信経路を固定しないこと(この部分はパケットによるIP
プロトコルのブロードキャスティングが担う)が必要である。また、正確にアプリケー
ションの機能を機能させるための基盤としてTCPプロトコルを使用する、TCPとIP
という2つの性格の違うプロトコルによる高度に重層的な技術によって構築されて
いる。--パケット、プロトコルやルーターの概念すら明確でない時期に、名も無き
天才たちによってTCP/IPが構築されたことは、今考えても驚異的であり長く記憶
に留めたい。(この辺の状況検証は「コンピュータは何になり得るか?」といった
問題意識からの過去への照射ストーリーとして別に私見を披露することがあるかも
知れません。)
 しかし当時の研究者たちは現在日々提供されているインターネットの様々なサー
ビスの隆盛を予想だに出来なかったに違いない。彼らの創造性や想像力が貧弱
だったのではなく、その後のコンピューティングの歴史を見る事の出来る現在の我々
ですらそ革命的進歩に驚かされるのだから。考えてもみて欲しい、、、
 我々が函館ラ・サール高校を卒業する頃、電子計算機と呼ばれていたコンピュ
ータは大学や研究所や大手銀行位にしか無く、極めて高価なものであった。
(今でいえば原子力発電所みたいなものか?、こちらはサッパリ価格が下がらないが) 
 この当時、パソコンも登場しておらず(アップル社の登場まで10年近くもかかる)、
世界最初のマイクロプロセッサのインテル4004('71)も登場していないのである。
カナダのSF作家William Gibsonのニューロマンサー('82)が語るサイバースペース
のイメージも登場していないのだ。ビル・ゲーツだって母さんのオッパイをしゃぶって
いた頃?なのだ。その当時の研究者が2006年の現状を夢想だに出来ないのも
無理からぬ事だ。CERNTim Berners-Lee (ティム・バナー-リー)によるURL
HTTP、HTMLの発明と開発及びMarc Andreesen(マーク アンドリューセン)という
一人の天才学生が登場する迄に色々なコンピューティング技術の革新による積み
重ねがあり、、、、(詳しくは別に解説予定)
 その後、’91年に公開される欧州核物理学研究所(CERN:セルン、セーレン)
の論文閲覧システムを基準とした、テキスト(文字)以外の画像や音声をも取り扱
い扱える、HTML言語によるWWW(ワールドワイドウェブ)の登場により、一挙に
インターネットはその一つの利用形態であるWWWと同一視され、つまり混同され、
(正確にはWWWサーバーの行うサービスと混同され)世界中に普及することに
なる。でもこれにはWWWサーバーが提供するWebページを閲覧するための
アプリケーションソフトであるブラウザーの登場が必要である。
 当時イリノイ大学の学生であったMarc Andreesen(マーク アンドリューセン
NCSA Mosaicチームの一員)達は開発したブラウサーソフトであるMosaic(モザイク)
のソースを93年2月から無償でインターネット上に公開した。(最初はUNIX OS上の
Xウインドウ上だけで実装された。) 今の言葉で言えばオープンソース化した、
そのインパクトは大きく、アッという間に世界中に普及した。当初数十万本、1年半で
2000万本のコピー(ダウンロード)が行われたとういうから驚きだ。(これはパソコン上で
行われたのではなく、UNIXマシーンのXウインドウ上でのみ行われた。これにマイク
ロソフトが驚き、従来の姿勢を変更しWindows95でインターネットコンピューティング
への戦略変更を行うに至り、インターネットは爆発的に普及する、1995年以降の事で
ある)
 この様なインターネットによるクライアント・サーバー方式分散コンピユーティング
将来の主流となるとみたマイクロソフト社は1995、Window95に於いて彼らのブラウザー
である (といってもMosaic派生のspyglass社のソースコードを買収して、それを元に
Internet Explorer 1.0-通称 IE 1.0を開発し、Window95以下のOSにバンドルした
のだが。)Internet Explorer (以下、IE と略す)を無償でOSにバンドルしてインター
ネットを自社のマーケティングに取り込む戦略に打って出る。これがIEとMarc Andreesen
が移籍するネットスケープ社との所謂ブラウザー戦争の始まりである。
 この戦争は例の如くに汚い手口のマイクロソフトの勝利に終わるいのだが、そのことは
兎も角、WWWサーバー(主にApachサーバー)の行うサービスは今日の様な普及を
みる事になる。
 通信回線の毛細血管部分とも言える所謂 「ラスト1マイル」 の速度が9-24Kbpsの
時代に(つまり現在のADSLの100分の1以下程度、ブラウザーで絵交じりのページ表示
に3-10秒もかかったかな)、この様なイメージデータに対するユーザーの需要は膨大で
あり当時のアナログモデムや日本のISDN等でもインターネット接続を行っていたのだから
今思うと驚きだ、正に現在では隔世の感がある。(’95から数年の内にでこうなってしま
った。)Apachサーバーの新機能拡張を中心に現在様々な新サービスが誕生しており、
本当のインパクトは、遠からぬ将来に、産業社会のみならず個人の生活空間のも大きな
衝撃波となって到来するはずだ。
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 さて、次にインターネットの技術的背景を簡単に見てみよう。まず大きな観点から
眺めるるならば、コンピユーティングの流れが、「中央集中型システム」 から
 「分散型システム」へと移行している事情がある。難しい話は別にして、中央集中型
システムの最大の弱点はシステムの需要(デマンド)に対する処理能力の限界を回避
する方法が中央のシステムのまるごとリプレース(交換、アップクレード)を基本とする
事にある。それが技術的なものであれ、マーケティング上の要因であれそうなのである。
つまりえらくゴツイ仕事なのである。これに対し分散システムでは極めて柔軟で、
サーバーの追加によって上記の事態に対処することが可能となることである。半導体
の集積度を上げる為のコストパフォーマンスはどんどん悪化しておりコストと性能が
リニアに比例しなくなっている事情がある。仮に性能2倍の能力を獲得するのに10倍
のコストがかかるのなら、同じシステムを2つ使用する方がコストパフォーマンスはよい
事になる。これが現在業界が、分散型システムへ向かう主な理由である。大型のシス
テムは上記の如くで既に高い成長パターンは終了し、コンピュータ産業では小型の
システムにその成長の主力を移している。(詳しくは以下参照 :9.ワークステーション
の登場 (APOLLO と SUN、2006.8頃掲載予定))
 従来、その小型コンピュータの世界では最適なコストパフォーマンスの獲得方式に
対し、約20年間に亘って、2つの相異なるアプローチの対立があった。
 一つの勢力は、皆さんがご存知の、”半導体の量産と微細加工技術の進歩により、
更なる市場拡大と性能向上を図る”上昇サイクルを信奉するパソコンの勢力である。
 もう一つの勢力は、UNIXワークステーションを中心とした、”コンピュータアーキテ
クチャやソフトウエアの革新によって最大のコストパフォーマンスを獲得しよう”とする
陣営である。後者がもたらした最大の貢献は、「クライアント・サーバー方式」 と 
「各種のオープンソース」であろう。又、インターネットのサーバーテクノロジーのほぼ
全ては後者の貢献がもたらしたものである。 大量生産による半導体の価格破壊は
特にCPUとメモリーに見られるが、後者の勢力はこれによって大量普及したPC上に
彼らの主OSをインプリメントすべくオープンソース化の流れを加速させている。
(LinuxやSolaris の無償配布、フリーソフト化)、一方のパソコン勢力はUNIX陣営
が成し遂げた成果をPCに取り入れるべくUNIXテクノロジーのPC化作戦を展開中で
ある。

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 インターネットの技術背景として、又もう一つ別の角度から眺めてみよう、従来の
コンピュータアーキテクチャでは全てのファイル(或いはリソース)にアクセス出来る
為にはツリー構造(ヒエラルヒー構造)が必須と見られていた。実はLAN(ローカル
エリアネットワーク)上の各コンピュータがTCP/IPで接続された時から、この原則は
密かに破られていたのである。、、そもそもネットワーク上のリソースのすべてにアク
セスする為のネットワーク構築時のアーキテクチャ理念それ自体に皮肉にも反して、
あるコンピユータから見てアクセス不能なファイル乃至リソースの存在を前提にせざ
るを得ないである。具体的にいえば例えばマウントのかからないファイルにはアクセス
出来ない等だ。しかもその「認識していない」事実すら確認する術もないのだ。
(つまり、管理者に聞いて下さい、という風なやつだ、笑い)何故この様な一見矛盾
する事態を生じさせるのかというとネットワーク(LANやインターネットを問わず)に
接続されているコンピュータが中央のコンピュータに完全に制御された端末機では
なく、あくまで自立したコンピュータであることから必然に生じている。各コンピュータ
の制御権は完全に固有のものであるべきハズである。逆に言えばルーターやゲート
ウエイは通信を専門に行うコンピュータであり、インターネットの通信部分は、
自立した各コンピュータ群とは異なる、通信専用コンピュータ群だけで成り立って
いるともいえる。(ルータ、ゲートウエイ結合体) この分野をかつての大型機の
IBMの様に支配するのはシスコシステムズ社であり、知る人ぞ知る巨大企業
である。この様にネットワークに接続されているのにアクセス可能なリソースが
何で何処にあるか自明ではないという大いなる矛盾が、Google等の検索ゲートや
普通のユーザ達が使うリソースを品ぞろえしたヤフーの様な「入り口サイト」を産み
出す原動力になっている。これは、ある種の宿命の様なもである。




 さて、我々がインターネットについてはじめに思う単純な疑問の一つに、
「米軍のプロジェクトとして始まったこのインターネットがなぜ民間に解放
され、あろうことか敵と目される中国やロシアさらにはテロリストにまで利用
されているのか?」というものがある。簡単にふれることにする。それには
アメリカを取り巻く当時の歴史・政治情況を理解する必要がある。1960年代末、
べトナム戦争の泥沼からアメリカは急速にその力を疲弊させその社会を変質
させてゆく、そして現在までに直結してゆく「病」を抱え込むことになる。
全米を揺るがす反戦運動の盛り上がりと権力中枢の軍産学共同体への不信は
拡大の一途を歩む。開発スタッフの中には反戦バッチを付けスニーカーを履
いてペンタゴンを徘徊するものまで現れる。
 当初ARPAnetとして始まったネットワークはその前史から、軍・産・学の
強固な組織体からなる強いアメリカの象徴の一つであった。しかし軍の
「暴走」を抑止すべく’69年「マンスフィールド修正条項」が成立し、以後、
軍は直接の軍事目的以外の研究分野への資金提供を行うことができなくなる。
ARPA関係のスタッフ達は以降、機動部隊の実戦を考慮した有線、無線、
衛星のインターネットの統合運用を目指し改良の末に1980年にTCP/IPプロト
コルの完成に至る。’83年にはMILネットへと発展する。
 一方軍にかわる基礎研究分野への資金提供はNSF(National Science
Fundation:全米科学財団)が主導する様になる。このNSFはCSNET
という各大学・研究機関向けのネットワークをARPAの協力のもとに
原型TCP/IPプロトコルに基づき展開する(’75年)。CSNETは参加大学
にネットワーク年間使用料の課金を行う前提で始まる。同様な科学・技術分野
の各種ネットワークが多数立ち上げられてゆく。(THEORYネット、
SYMBOLネット等) 又73年にはからはXEROX社のLANネット
ワークのイーサーネットからのARPAネットへの接続などが行われる。
このイーサーネットの様な小規模なネットワークとUNIX OSの普及が
ARPAネットを、70年代後半大手各社から企画される各種ネット
ワークを押しのけ、不動の地位を獲得させるにいたる。まさしくデファクト
スタンダード(事実上の標準)の典型の様な事例である。
 やがて80年代に入ると構築された各種ネットワークは広域基幹バック
ボーン網と地域ネットワークとに整理され又民間でもネットワークのISP
(プロバイダー)のサービスを企画する企業も現れる。こうした多少ことなる
各種ネットワークをルータやゲートウエイで接続したネットワーク全体を
「internet」と呼ぶようになる。80年代では従来のARPAネット(これを
大文字のInternetと呼ぶ場合がある)とこの「internet」は分断している
ネットワークであったが、必要に応じゲートウエイで接続された為、
区別する意味が薄らいでゆく。こうして今我々が言うところの「ネットワークの
ネットワーク」としてのインターネットが本格的にその姿を現し始めるのである。
当時のTCP/IP上のアプリケーションは簡単な電子メールとFTP(File Transfer
Protocol),telnet等であった。いずれにしてもテキストベース、コマンドベース
のソフトであり、専門のスキルを身につけたユーザ達の使用に限られていた。
要するに未だ1980年代を通して、極めてごく少数の例外を除いて誰もがインター
ネットの今の姿を夢想だにしていないのだ。その証拠にハネウエルDDP-516
を改造したルーターの原器IMP(Interface Message Processor)を製作
したBBN社は商用ルーターの製造を「市場性が無い」という理由で却下して
いる。又、あの目ざといスコット・マクネリ率いるサンマイクロシステムズ社は今の
ルーター業界の巨人シスコシステムズの創業者たちがスタンフォード大学で
サンのWS上でルータを開発してにいた'84年頃、ゼロックスのPARCでルータ
を開発したチームのメンバーがサンに移籍し同様の提案をした時、「地味で
市場性が大きくない」という理由でやはり事実上却下している。「The Network
Is The Computer」を掲ていたサンですらこうなのだ。彼らは大きなクジラを取り
逃がしてしまったのだ。今ではシスコシステム社の株式時価総額はサンを遥か
に上回っている。尤も当時はパソコンでさえAppleIIやIBMPC5150がリリース
された当初の80年代中頃では、エンジニアリング分野はともかく、一般に何に
使えるのか皆目見当が付いていなかったと言っても良い状態だったのだ。
(OSはシングルタスクのDOSであり、仮にジョブを通信に割り当てれば他は
何もできないのだ)その後,ワードプロセッサ,ゲームやロータス123等の表計算
等のソフトが市販され企業や個人が使用できるものになって行ったのだ。80年
代でこのPCがインターネットエクスプローラやNetscape Navigatorのような
ブラウザーソフト(閲覧ソフト)を使い各種サーバーにアクセスするツールになる
等とは思いもよらないことだった。
 すべては、TCP/IPの上にTim Berners-Lee (ティム・バナー-リー)による
URLとHTTP、HTMLの3点セットの発明とMarc Andreesen(マーク アンドリ
ューセン)によるブラウザーのの開発と配布があって、インターネットの「爆発」
といっても良いその後の展開があるのである。僅かに10年程前の出来事である。

用語解説 ARPAnet Advanced Research Project Agency Network  ARPAはDARPA(ダーパ)にも時々呼称が 変更されたりするが一般にはあまり厳格な 区別はなくARPAと呼ばれることが多い。 TCP/IP (Transmission Control Protocol /Internet Protocol) 1975にARPAnet内でほぼ完成をみて、 その後国際標準化機構(ISO)により制定 された、OSI準拠の規格として1982年に 規格化。現在は「泣く子も黙る」 インターネットの背骨の様な通信ソフト ウエア存在。 OSI参照モデル
異機種間のデータ通信を実現する
ためのネットワーク構造の設計方針
「OSI(Open Systems Interconnection)」
7階層のレイヤー
(階層モジュール)からなる。

上から(人間に近い所から)
 アプリケーション層
 プレゼンテーション層
 セッション層
 トランスポート層
 ネットワーク層
 データリンク層
 物理層

一時はTCP/IPと通信規格の覇権をかけ
争ったが、現在では理想化された参照
モデルの地位を占めるにすぎない。
NCSA
米国立スーパーコンピュータ応用研究所。
イリノイ大学内に設置されている


URLとHTTP、HTML
Tim Berners-Lee (ティム・バナー-リー)により
開発されたインターネットを構築する3点セット。
URL:Universal Resorce Identifier
HTTP:Hyper Text Transfer Protocol
HTML:Hyper Text Markup language


クライアント・サーバー方式
 主にUNIXコンピューター
(当時もっぱらワークステーション、
WSと呼ばれていた)で利用されていた
分散コンピューティングシステム。
 LANにぶら下がる複数のクライアント
WSから、サーバーと呼ばれるWSへ
必要な情報を自動的(透過的に)に取得
するシステムでサンマイクロシステムズ社
のNFS(Network File System)
という事実上オープソース化されたソフト
などにより構築可能となった。
重複するファイルをサーバー側に
纏める事により、システム全体のコストを
下げようとするコンセプトに基づく。
 現在では、この様な分散アーキテク
チャーはインターネット上に拡張されて、
クライアント側はパソコン
(正確にはPC側のブラウザーウインドウ)
になり、一方のサーバー側はインターネット
上の各種のサーバー群である。
これらサーバー群は留まるところ無く
増大するデマンドに対応すべく巨大化
する方向に進んでいる。映画・ビデオ・
DVD等をオンデマンドにより配信
する動画のストリーミング系サーバー
群などはその典型である。
 また、音楽配信もApple社の様に
100万曲をサイトからダウンロード可能
なサイト等も巨大サイトである。
近い将来この様なネット配信がCD等
の販売を抜き音楽業界の地図を
塗り替える事になる。
ネットスケープ社
(Netscape;俗にネスケという)
SGI(シリコングラフィクス社)
創業者ジム・クラークとマーク・ 
アンドリューセンの共同設立会社。
ブラウザー戦争ではマイクロソフト
に敗れるがブラウザーソフトの
Netscape Navigatorはあまりにも
著名。現最新バージョンは7.1である。
 ’98にAOL社に買収される。
シスコシステムズ社
1984年スタンフォード大学コンピータ
センターでレナード・ボサックとサンデー・
ラナー夫妻により設立された商用ルータ
の企業。インターネットの通信分野
ルータ市場は彼らの牙城。基幹バック
ボーンのMPLSルーティング やCisco IOS
は業界標準である。


余談:日本の初期パソコン状況
 日本のパソコンの創世期はシャープのMZ
シリーズとNECのPC8001、8801MarkIIあたり
から本格的に始まる。当時何故かマイコンと呼ぶ人
が多く、(たぶん、My Computerの意味で使用した
のだろう)今マイコンと言えばROM搭載の
Micro-computerチップを指すのが普通だが。
OSは無く、BASIC言語で使用するものと想定
されていた。みんなこれで「燃えていた」のだ?!
あるいは「燃え尽きてしまった」のだった。出来る人
はアセンブラーで使えるソフトも書いただろうが、
大半は提供されたBASICで何をすればよいのか
試行錯誤し、雑誌を漁っていたものだ。誰かの作った
ゲームで楽しむのがせいぜいだった。ついでにちょっと。
 日本のパソコン史で業界が犯した本質的に重大な
間違いは多いのだが、いくつか挙げるとまず、DOS
というOSを乗せるのが遅れたこと。(N88BASIC等
という様なものにこだわった事等)、ハードや周辺機器
の進歩への対応をOSではなくBASIC側で行わな
くてはならなくなり互換性に障害が生じた。
次には日本語表記等でつまらない閉鎖的環境を作り上げ
国際標準の波に乗り遅れたこと。特にIBMがDOS/V
をリリースした時その戦略的意味を全く理解出来なかった
ことだ。(私の観るところ東芝だけが重大な戦略的意味
に気付いた様だった)グラフィックスがVGA
(640*400ドット)からSVGA(800*600)やXGA
(1024*768)へと歩み始めた時、24*24ドットの日本語
フォントが一般化され正しくOSが国際標準化している
事に気付かなかった。言語の違いをOSが吸収していっ
たのだ。米国のユーザーも高度なグラフィックス機能
をハードウエアに求める様になった現実を直視しなかっ
たのだ。当時CPUとOSを除くあらゆる関連分野で、
つまり半導体メモリー、CRTブラウン管、フロッピー
のメカ、小型ハードディスク(5インチ、3.5インチ)
高精度の実装技術、等々圧倒的優位に立つ日本がパソコン
の事業展開に於いて戦略的間違い犯している時、台湾は
マザーボードPCB基盤の技術に経営資源を集中し成功
を収めることになる。尤も初期の台湾製マザーボード
はIBMやコンパチメーカー等のデッドコピーであり「違法」
なものではあったのだが。今では日本は、半導体メモリでは
韓国サムソンの後塵を拝し、パソコン関連技術では
液晶、プラズマディスプレイ位しか見るべきものは
ない有様だ。80年代後半のバブルに浮かれ、日本も
又、大きなクジラを逃したのである。