ハッカーコミュニティの歴史とその現状
オープンソース化のインパクトとコンピュター産業のフロンティア
2005.5.10

 インターネットが急激に普及した今日、自宅や会社にあるPCはマイクロソフトのXP搭載かも知れないが、だが携帯電話のメールでさえも、一旦視点を変えてその奥にあるものを眺めれば、ネットワークの背後で動く様々なサーバーと呼ばれるコンピューター無しに考えることは出来ない。そこはパソコン文化とは違うUNIXと呼ばれる文化圏の世界であり、正にハッカーコミュニティそのもなのだ。さて、
 1998年2月はハッカー達にとって重要な記念日となった。つまりネットスケープ社が彼らのWWWブラウザー"Navigator5.0"のオープンソース化を発表した時を境に(インターネットの爆発的普及とともに)、一般社会からは一部のハッカー集団に過ぎないと目されていたR.ストールマン(Richard M. Stallman)の率いるFSF(Free Software Foundation)はその新世代のカリスマ、リィナス・トーヴァルス(Linus Torvalds )の登場と共に俄然世間の注目の的となった。そして今ではもう既に彼らはコンピュター業界のメジャープレーヤーにのしあがってしまっているのだ。
 R.ストールマンは '84年にMITを退職後、FSFを設立、GNU・GPLライセンスで知られるフリーソフトの開発配布運動を開始した"伝説のハッカー"、"グル"と呼ばれるこれら運動の教祖的存在であり、Emacs, gcc(GNU C Compiler) の制作者としても著名である。リィナス・トーヴァルスは今では知らぬ人もいないかのリナックス(GNU/Linux)の制作者である
 現在、やや広い意味での"オープンソース"と云われるものをみれば、アパッチ(Apache) プロジェクト、Sunのジャバ(JAVA)、リナックス:GNU/Linux (RedHat、TurboLinux等を含む)、Xウインドウ(X-window)等業界のデファクトスタンダード乃至は超有力ソフト群であることを見れば事情の重大さが解ろうと云うものだ。彼らの主張とするところは明確にその定義とライセンスに表れてはいるのだが、要するに、オープンソースとは"ソフトウェアーのあらゆる意味で制限のない自由な配布・再配布とソースコードの公開"を主な柱としている。(詳細は添付資料) フリーの意味は自由であり無料を意味してはいない。しかし今でも彼らハッカー達には、偏見と悪意ある誤解が付いて回っているので、其のあたりの事情から説明したい。彼ら(つまりフリーソフトを制作するプログラマー達)は"ハッカー"と呼ばれることを誇りとしていて、Webサーバーに不正に進入したり、商用ソフトのプロテクトを解除し海賊版をばらまく連中つまりは"クラッカー"と明確に区別しておかなければならない。ハッカーとは"本当のプログラマー"とほぼ同義をいわれる。複製(コピー)技術をその基本の一つとするデジタルの世界ではこの双生児の様なの"ハッカー"と"クラッカー"はキリスト教の天使と悪魔の様な対比をなす。(ハッカー達は"何故ソフトを無料で配布するのか?"と聞かれ"このことは愛他行為である"と答えることは示唆的である)この様な2面性はコンピュター業界の全分野にわたる極めて奥深い問題でもある。(例えばコンパチブル:互換性 と デッドコピー:まるごと複製、リバースエンジニアリングの限度等々)
 事情を多少理解する為に簡単に彼らの歴史を眺めるのが一番いいのだろう。以下ごく簡単なハッカーの小史である。



− ハッカーの小史 −
1.60年代まで − 黎明期
ハッカーの歴史はコンピュターの誕生にまで遡ると言われる。初期のプログラマーは商用メーカーと異なるコンピュターの使い方である彼らのソフトを純粋に科学技術的な使命感から無料で配布していた。そもそもソフトウエアをパッケージにして販売するという商行為はそんなに古くからあるものではなく、ソフトと言えば自社用にオーダーメイドするのが普通だったのだから当然ともいえる。しかしまたハードが極めて高額なのだから市場すらまともに存在するはずもなかったのだ。

1. 70年代から80年代の展開 − DEC(現コンパックに'98買収される)の時代からUNIXの時代へMITのAI研を中心にDEC社のPDP-1から始まり特にPDP-10をプラットホームとした初期のハッカー達はDECのOSを完全に拒否し有名なITSと呼ばれる独自OSを完成させ人工知能用言語のLISPを使用してフリーなソフト配布し、米国防総省のARPANET('69)の上でのコミュニティを形成していた。
 もう一つ有名なXEROX社のPARC(パルアルト研究所)のハッカー達は80年代半ば迄に既に現代のマウス、ウインドウ、アイコンインターフェース、LAN等の技術革新を完成させていたが、XEROX社での成功をみるには至らなかった。
 ARPA誕生の'69年はATTのベル研究所のケン・トンプソンがUNIXを発明した年と重なる。このUNIXにハッカーD・リッチーがC言語を開発し('71)、更に彼らはこのC言語そのものでUNIXというOSをアセンブラから書き換え'74には異なる
数種類のプラットホーム上に移植した。Cの移植性の高さをここでも見てとれるのだ。80年までには全米の多くの大学・研究所でこのUNIXは急速に広まり、現在に至るまで、やがて数万数十万のハッカー達の故郷となるのである。
 初期のUNIXのプラットホームはPDP-11とVAXであり、この様にPDP-10,ITS,Lispを中心としたコミュニティとPDP-11,VAX,UNIX,Cという新興UNIXハッカーコミュニティが並存する時代がしばらく続く中、第三のマイコン熱狂者のアナーキーなグループが誕生してくる。しかし彼らはBASICという恐ろしく幼稚な言語と通信ネットワークを持っていなかった為に前述二つのコミュニティの様な(云わばアカデミズム派のハッカーコミュニティ)を形成するまでには遠く1995年のマイクロソフトのWindows 95の登場まで待たねばならなかった。(これはマイクロソフト社が明確にPCをアイコンインターフェースとインターネット接続ツールとして意識し出した年である)
 やがてMITのAI研のハッカー達はPDP-10のアーキテクチャの衰え等で力を失い新興企業の高給職へとスカウトされていく。'83年にDEC社がPDP-10の生産打ち切りを行うに至りITSハッカー達の未来は完全に失われた。ITSを別のハードウエアに移植する等膨大すぎて誰にも出来ない相談だったのだ。彼らの多くはビル・ジョイの主導するUNIXの変種のBSD版(カリフォルニア大学バークリー校配布)のプラットフォームを寵愛することになる。また一方でこのさまざまなライセンスに縛られたUNIXと完全に互換性のあるフリーなクローンを目指すRストールマンのFSFが
設立されるに至る。
 さて80年代に入りマイクロプロセッサとLAN技術は将来のコンピューターの主流になる事が誰の目にも明らかになるに従い、モトローラMC68000チップとEtherネットを使い現在ワークステーションと呼ばれる商用コンピューターが82年登場する。スコット・マクナリーとビル・ジョイらによるSun Microsystems社の誕生である。従来のVAX等からみれば格段に廉価なマシーンではあったがまだ個人で使用できるものでもなかつた。しかも従来コンピユューターと同様にグラフィックスはハッカーに限らずエンジニア達が使いやすい(例えばXEROXのハッカー達が考えた様な)インターフェースを十分に備えていなかった。MITのハッカー達はXウインドウを自ら開発し結局プログラムソースを当時のインターネット網で公開しこれが現在にまでいたるUNIX、Linux、FreeBSD等の標準ウインドウシステムである。これらの事項が32ビットのインテル386アーキテクチャのCPUがPCの主流となるまでのハッカー達の足跡である。

2. 90年代の展開 − インテル386CPUへのLinuxのインプリメントとATT版UNIXとBSD版UNIXの事実上の消滅まで 
   アップル社の独占市場であったPC市場へのIBM社の参入と半導体集積度の飛躍的向上に支えられて爆発的拡大を続けるパソコン市場の覇者は結局"ウインテル"と呼ばれるマイクロソフト社とインテルであることが次第に明確となるに従い、ハッカー達はこのインテル386アーキテクチャCPU上に彼らのOSをインプメントすべく最大限のパワーを捧げることになるのだが、OSの心臓部にあたるカーネルを除くOSの主要部分は完成をみたもののカーネルの設計は困難を極めた。並居る天才ハッカー達のFSFが率いるHURDプロジェクトが何度も足踏みし躓いたことでもその困難さは想像を絶するものであった事が推測できる。"個人のテクノヒロイズムの終焉"とまでいわれた。
 ところが、'91年ヘルシンキ大学の学生だったリナス・トーヴァルスはFSFのツールキットを使い386のフリーなUNIX互換カーネルを極めて短期間に書き上げた。インターネットを使い多数のハッカー達がこのプロジェクトにボランティア型(自薦で)で参加した。(この社会現象ともいえる開発に於けるパラダイムシフトは後述)大方の予想を裏切りこのリナックスと呼ばれるOSは他のハッカー達のBSD系プロジェクトであるfreeBSD,OpenBSDなどを押しのけ一挙に幾つもの大きな成功を成し遂げ、カテゴリーキラーと呼ばれるメジャーなOSに成り上がってゆく事になる。この様な社会現象はインターネットの普及拡大に伴いやがて、'94年のクリッパー法案、'96年CDA(通信品位法)等所謂"情報・暗号の国家管理法案"の米国での阻止運動等にみられる政治的傾向も帯び始めるのである。 これらのことを通じて90年代後半のインターネットの爆発により、彼らは普通の社会から敬意と悪意の両方を持って注目を集める事になる
 急速に存在感を強めたこのリナックス現象の前に既存の独占UNIX団体はいがみ合いと無能の為に混乱を極めついに消滅し、"UNIX"と言われるものは特定のハードメーカーの上で動く個別のUNIX(Solaris:SUN, AIX:IBM, HP−UX/現コンパック等)だけが残る結果となるのである。

4.'98年から現在 − インターネットの爆発と開発パラダイムのシフト
ネットスケープ社が"Navigator5.0"のオープンソース化を決めた翌年にはアップルコンピユーター社がMac OS X ServerのカーネルであるMachマイクロカーネルとOS機能の一部分のソースコードをApple社のWeb上で公開しこのオープンソース化の流れに乗る。この流れを止める事がもはや不可能とみたIBMは自ら彼らのスポンサー(云わばパトロン:20億ドル以上の拠出と言われる)となり、Linuxの有力商用ベンダーRedHat社に資本参加するなどのその戦略転換を行った。ここに至りハッカー集団・オープンソース集団は業界に於いてその存在と主張を完全にオーソライズされるに至ったのだ。
又、'98年はハッカー集団たちが彼らのソフトを"フリーソフトウェア"から"オープンソース"へとその呼称を変えた年でもある。全く同じ集団が同じ主張をしながらも呼称を変えたことはストールマンが言うように"その運動の精神は別のもの"という様に微妙な変化をもたらした。この新しい呼称は一方で企業社会とのある種の親和性を高めるとともに、ストールマンらのフリーソフト原理主義者たちの間に微妙な違いを生じたが、現在大勢はストールマン(フリーソフト派)の"宗教的呪縛"を脱した新興勢力(オープンソース派)の流れに乗っている。これはGPLライセンスを拡大(上位互換)したThe Open Source Definition:OSD として結実した。現在このOSD準拠のライセンスはGPL,BSDライセンス、等であり業界標準とみなされている。(参考資料2)しかし現在でも従来のGPLライセンスのもとに約半数のソフトが配布されている。問題はこのオープンソースへの呼称変更を企業社会が見逃さなかった点だ。有力ベンダー各社は
  それぞれの戦略的思惑のもとにこれらの定義に新条項付加や変更を行い独自に"オープンソース"と称している。現状はこの点かなり大きな混乱があるのは確かである。
だがしかしもはや、彼らを単に以下の様にみなす事は間違いであり、企業戦略を見誤ることになる。
 1. 彼らは趣味でソフトを無償で提供する"おたく集団"であり、その品質は高くなく依然、少数派のまま止まる。
 2. 彼らは反商業主義者であり、ビジネス社会・市場経済とは結局は相容れない。
 3. 彼らの主要な敵は商用ソフトの独占を目論むマイクロソフト社であり、結局はビルゲイツ率いるマイクロソフト社との対立が主要なテーマなのだ。


− 一体何が問題なのか? −

  ずばりその生産性の高さにある。Linus Toravaldsが始めたインターネットを通じたカーネル開発の手法は従来のあらゆる開発手法と比べ極度に高い生産性を示した。少しでもビジネス界に籍を置いた人間ならばこの意味するところは明瞭だ。競争が支配する市場経済の世界では生産性の違いは企業同士であればその生存に直結する。誤解されるのは、"彼らハッカー達は無償のコストで奉仕しているのだからその生産性は無限に高くて当たり前だという"点だ。こういった経済コストに還元しない意味での実際の物理的な生産性そのものが極めて高いのである。従来のハッカー達の開発手法と比べても驚くべき開発能力を示すのだ。その生産性は恐らく確実に十倍以上といわれ、人類が知的生産現場で獲得した最高水準に到達している。従来はストックオプションという経済的インセンティブをエンジニアに与えた企業内部の開発方式がハッカー集団の生産性を上回るか互角程度と見積もられていたが、Linux開発の成功と共に歴史的転換を迎えたのである。今や有力オープンソースプロジェクト、例えばLinuxコミュニティーの様に、問題解決の為に瞬時に動員できるだけの知的資源と太刀打ち出来る商用ベンダーなどどこにも存在しない。マイクロソフトだろうがIBMだろうが、だ。
 要はこのインパクトが如何なる影響をコンピュター関連業界や社会に与えるのかを見極め的確な戦略対応をとることにある。Sunmicrosystems社は勿論のこと、ネットスケープ社、アップルコンピュター社、IBM等が彼らのオープンソース化の方法を彼らの企業戦略に取り入れ始めたのは気まぐれからでも善意からでもない。膨大なコミュニティ規模に膨れ上がったオープンソースコミュニティ(ハッカー集団、ヘビーユーザー集団)の開発パワーをいかに取り組むかをめぐり熾烈な戦いが開始されたのだ。
 現在、ハッカー達は極めて安価なパソコンのハード上に走るLinuxOSの環境と常時接続インターネット環境をプライベートに自在に操作する環境の下で、一部のパワーユーザーをも巻き込み、そのコミュニティーを急速に拡大している。彼らの主な活動の中心は現在Linux開発とWWW関連(Apache関連プロジェクトを中心に)にある。しかしこれは永遠にそうだというものではない。彼らの本格的活動はまだ始動したばかりなのだ。

− オープンソースの開発パラダイムシフトと新しいビジネスモデルについて −

 Linuxの開発現場でみられた、インターネットを使い倒す様なボランティア型開発方式は結果的に極度に高い生産性を従来のハッカー達にも商用ベンダー達にも見せ付けたわけだが、このあたりの事情を少し見ておこう。
 FSF の有力スポークスマンであるEric S Raymondによれば、− 従来の方法では"大規模複雑なカーネルの様な開発は少数の天才達が慎重に設計すべきもの"であった、が、トーヴァルスはインターネットでまるで"乱交"まがいに何でも公開し、1日に数度のバージョンアップを行うことすらあったという。"どこのだれからもソフトを受け入れる様な方式が一貫したシステムを生み出すなど何度も奇跡が続かなければ不可能に思えた。何故Linuxプロジェクトが混乱のうちに崩壊しないのか理解に苦しんだ"− と語っている。そして彼は"Linuxの成功は衝撃以外の何者でもない"と表現し、この様なソフト開発のアプローチをその後"バザール方式"と命名している。今ではこの方式を"高速ダーウィン的選択"が働く極度に高効率生産方式だと認めている。  そして現在ハッカー達はこの開発方式を踏襲し、あらゆるプロジェクトに適用している。正にソフト開発の歴史を画期する出来事であった。GNU/Linuxは僅か1-2年の
うちに('93末には)20年の歴史をもつ従来の商用UNIXと互角の安定性と信頼性を獲得したのである。しかし当時はハッカーコミュニティーでもさして気にもとめられず、まして外部の集団からは無視されたといわれる。
 さて現在、"オープンソース・ハッカー集団"を企業戦略に取り組むことが盛んに行われる様になったが、何か特別に成功の秘訣がある訳でもなく各社手探りの試行錯誤状態というのが現状だ。統合オープンソース戦略"Sun ONE"を掲げるSunの様に古くはNSFから始まりJAVA、JSWDK(現Jakarta プロジェクト)、Jiniと自らこの戦略を積極的に展開している企業でも事情はあまり変わらないだろう。現在最も成功している様に見えるIBMは彼らのJAVA等の統合開発環境である"Eclipse"をオープンソース化し次世代Webサービスの中核をシェアーすべく"Websphere"をIP戦略・ソリューションビジネスの中心に押し出している。一方の覇者マイクロソフト社はこれらの流れに対応すべく一部のオープンソースのアイディアを取り入れながら来たるべきWebサービスである「.NET:ドットネット」戦略を全て自社製品で展開中である。
 いずれにしてもIP的であることとコンピューター的であることの区別が劇的に縮小している現状は十分に把握しておく必要がある。WWWの窓を開けたら、そこには広く深く広がる未開の宇宙でオリオン星雲の様に無数の新技術・新サービスが生まれていることを発見しつつあるというのが現実なのだ。とてもWebサービス等では終わりそうもない規模と可能性に満ち溢れているフィールドがあったのだ。これらの事象はいずれ一般の企業にもその衝撃波と共に大胆な戦略変更を迫って来るに違いない。




* この文章は文章自体がGPLで配布されているEric S. Raymond氏の"伽藍とバザール'98""ノウアスフィアの開墾'98"、"ハッカー界小史'98"、"魔法のおなべ '98"からの引用を用い且つ参考にしました。またGNUホームページ日本語版も参考としました。




参考資料 2
オープンソースの定義 バージョン 1.9
この節は「オープンソースの定義」の一部ではありません。(つまり全部:引用者)

はじめに
「オープンソース」とは、単にソースコードが入手できるということだけを意味するのではありません。
「オープンソース」であるプログラムの頒布条件は、以下の基準を満たしていなければなりません。 
1. 再頒布の自由
「オープンソース」であるライセンス(以下「ライセンス」と略)は、出自の様々なプログラムを集めた
ソフトウェア頒布物(ディストリビューション)の一部として、ソフトウェアを販売あるいは無料で頒布
することを制限してはなりません。 ライセンスは、このような販売に関して印税その他の報酬を要求
してはなりません。
理由: ライセンスが自由な再頒布を要求するよう強制することにより、数多くの長期的利益をちょっと
した短期的な販売収益を得るために投げ捨ててしまうというような誘惑を除くことができます。
このような縛りをかけないと、協力者たちは変節せよという強い圧力にさらされてしまうでしょう。 
2. ソースコード
「オープンソース」であるプログラムはソースコードを含んでいなければならず 、コンパイル済形式
と同様にソースコードでの頒布も許可されていなければなりません。何らかの事情でソースコードと
共に頒布しない場合には、ソースコードを複製に要するコストとして妥当な額程度の費用で入手できる
方法を用意し、それをはっきりと公表しなければなりません。方法として好ましいのはインターネットを
通じての無料ダウンロードです。ソースコードは、プログラマがプログラムを変更しやすい形態で
なければなりません。意図的にソースコードを分かりにくくすることは許されませんし、プリプロセッサ
や変換プログラムの出力のような中間形式は認められません。
理由: 私たちは、意図的に分かりにくくされていないソースコードが入手できることを要求します。
プログラムを改変することなしにはプログラムを発展させることはできないからです。
私たちの目的はソフトウェアの発展をより容易なものにすることですから、変更が簡単に行えることを
必要条件に加えています。
3. 派生ソフトウェア
ライセンスは、ソフトウェアの変更と派生ソフトウェアの作成、並びに派生ソフトウェアを元の
ソフトウェアと同じライセンスの下で頒布することを許可しなければなりません。
理由: 単にソースを読むことができるだけでは、独立したピアレビューや急速な発展的淘汰を
維持するのに十分ではありません。急速な進化を実際に起こすためには、
人々がそのソフトウェアでさまざまに実験し、変更点を再頒布することができる必要があります。
4. 作者のソースコードの完全性(integrity)
バイナリ構築の際にプログラムを変更するため、ソースコードと一緒に「パッチファイル」
を頒布することを認める場合に限り、ライセンスによって変更されたソースコードの頒布を
制限することができます。ライセンスは、変更された ソースコードから構築されたソフトウェアの
頒布を明確に許可していなければなりませんが、派生ソフトウェアに元のソフトウェアとは
異なる名前やバージョン番号をつけるよう義務付けるのは構いません。 
理由: 盛んに改良することを奨励するのは良いことですが、ユーザには彼らが使っている
ソフトウェアについて誰が責任を持っているのか知る権利があります。反対に、ソフトウェア
の作者と管理者にも彼らの名声を保護し、何をサポートすることが要求されているのか知る
権利があります。 それゆえ、オープンソースなライセンスはそのソースが容易に入手可能である
ことを保証しなければならないのですが、一方でそれがいっさい変更されていない本来の基本ソースと
パッチという形で頒布することを義務付けても構わないということにします。こうすれば、
「非公式」な変更点は利用可能でありつつも、元のソースとは簡単に見分けがつくわけです。 
5. 個人やグループに対する差別の禁止
ライセンスは特定の個人やグループを差別してはなりません。
理由: 進化の過程から最大の恩恵を引き出すためには、可能な限り多種多様な人々やグループに、
平等にオープンソースに貢献する資格が与えられている必要があります。そこで、オープンソース
なライセンスによって誰かを進化の過程から締め出すことは禁止されています。
アメリカ合衆国を含むいくつかの国では、ある種のソフトウェアに輸出制限を課しています。
OSD準拠のライセンスは、適用される可能性がある制限についてライセンス受諾者に警告し、
また彼らには法に従う義務があることを示唆しても構いません。しかし、
ライセンス自身にそのような制限を取り込んではなりません。
6. 利用する分野(fields of endeavor)に対する差別の禁止
ライセンスはある特定の分野でプログラムを使うことを制限してはなりません。 
例えば、プログラムの企業での使用や、遺伝子研究の分野での使用を制限してはなりません。
理由: この条項の主な意図は、ライセンスによってオープンソースが商業的に使われることを
妨げるような策略を禁止することです。私たちは、営利的なユーザも私たちのコミュニティに
加入してくれることを望んでおり、彼らがそこから排除されているような気分になっては
欲しくないのです。 
7. ライセンスの分配(distribution)
プログラムに付随する権利はそのプログラムが再頒布された者全てに等しく認められなければならず、
彼らが何らかの追加的ライセンスに同意することを必要としてはなりません。
理由: この条項は、ソフトウェアを機密保持契約への同意を要求するなどの間接的な手段によって
囲い込むことの禁止を目的としています。 
8. 特定製品でのみ有効なライセンスの禁止
プログラムに付与された権利は、それがある特定のソフトウェア頒布物の一部であるということに
依存するものであってはなりません。プログラムをその頒布物 から取り出したとしても、
そのプログラム自身のライセンスの範囲内で使用あるいは頒布される限り、プログラムが再頒布
される全ての人々が、元のソフトウェア頒布物において与えられていた権利と同等の権利
を有することを保証しなければなりません。
理由: この条項は、ライセンスによるこれまたよくあるタイプの策略を禁止します。
9. 他のソフトウェアを制限するライセンスの禁止
ライセンスはそのソフトウェアと共に頒布される他のソフトウェアに制限を設けてはなりません。
例えば、ライセンスは同じ媒体で頒布される他のプログラムが全てオープンソースソフトウェア
であることを要求してはなりません。 
理由: オープンソースなソフトウェアの頒布者には、彼ら自身のソフトウェアについては
彼ら自身で選択する権利があります。
もちろんGPLはこの要件を満たしています。GPLが適用されたライブラリとリンクされたソフトウェアは、
それが単一の著作物を形成する場合のみ GPLを継承するのであって、単に一緒に頒布される
というだけならば他のソフトウェアには影響しません。
準拠について
私たちはこの「オープンソースの定義」が、ソフトウェア界の人々の大多数が 「オープンソース」
という語に元来込めていて、今も依然として込めている意味を捉えていると思っていますが、
この語が広く使われるようになるにつれて、その意味するところがいくぶん正確さを失っている感は
否めません。そこでOSIでは、ソフトウェアの頒布に適用されるライセンスがOSDに準拠していること
 をOSI認定マークで証明することにしています。私たちは 「オープンソース」という用語を
OSDに準拠しているという意味で使うことを推奨していますが、 総称的用語としての
「オープンソース」には何の保障もありません。OSI認定マークについての情報、
そして OSI が OSD に準拠していると認めたライセンスのリストについては認定マークのページをご覧下さい。
Bruce Perens が「Debian フリーソフトウェアガイドライン」としてこの文書の最初の草稿を書きました。
その後彼は、Debian の開発者陣が 1997 年 6 月に行った、1ヵ月にも及ぶ電子メールによる
討議において寄せられた意見を採り入れて推敲し、 Debian 固有の話題を文書から削除して、
この「オープンソースの定義」を書き上げました。 
正確を期して翻訳しましたが、誤訳や不備も多々あると思われます。あくまでも 原文が正式なもので、
この訳は参考程度であることに留意してご利用下さい。        
 八田真行訳、2002年5月7日
Debian とは  Debian GNU/Linux のプロジェクト名のことです。(引用者)